音楽で養生する話
「音楽療法」「ヒーリングミュージック」「音楽に癒される」
これらの言葉に私は違和感がある。
「こういう音楽が効きますよ」「こういう音楽で癒されましょう」と言わんばかりである。余計なお世話である。そんなものは自分で決めるわ!
そもそも音楽をはじめ芸術は主観的な領域のものである。
ともかく「癒し」「〇〇療法」という言葉には欺瞞が多くあり、「音楽が人を健康にした」話は大嫌いである。
ちなみに「音楽が人をひとつにする」「音楽で絆を感じた」話も欺瞞オブ欺瞞としか思えず、私が死ぬほど嫌いな言葉である。音楽に何らかの効果があるという喧伝(プロパガンダとさえ思う)ほど音楽の本質からズレたものもないと思う。
こういう言葉で私自身の何かがかなり殺されきたと思う。癒すどころの騒ぎでない。
常々そう思う私であるが、何を隠そう音楽に救われた経験は数知れずある。でも現実逃避的な「癒し」があったわけではない。
音楽の中にのたうちまわったり、もがいた痕跡を聴き、あるいは美しさを感じた時に、自分の中にある何かが変わったり、何かを得た。その時私は救われた。
救われたという言葉ではちょっと違うので、もっと端的に表してみる。
「養生」という言葉ならばどうだろうか。
「養生(ようじょう)とは、本来のあるべき姿でいられるよう、保護をすること。」
(引用元 https://www.weblio.jp/content/%E9%A4%8A%E7%94%9F)
この「養生」という言葉に倣えば、音楽を聴くことで「養生した」=「私は自分のあるべき姿を守った」ということである。
当然のことながら、音楽は楽しいから好きだから、聴いたり演奏したりするものである。自分のあるべき姿に気づくために聴いたり奏でたりする訳ではない。
音楽が単に楽しいから好きだから、そんな音楽を楽しんでいる自分がいることに気づき、大切にする。音楽に感動する自分を大切にする。
それが即ち「音楽で養生する」と言えないだろうか。少なくとも私にとってはそう思える。
自分らしさの発見。自身の栄養の獲得。
それらをさらに広げるために、純セレブスピーカーでできることがあると私は思っている。
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