「はたらく」について
会社を退職して3ヶ月が経つ。
ただ「はたらいて」はいる。スピーカーの販売やメルマガ執筆、note記事。自宅では掃除や炊事。読んだ人や聴いてくれた人を楽にしたいそういう「はたらく」である。
ハタ(側)をラク(楽)にしたい。これが働くの語源であるという。
ところで、英語だとlabor、work、job、task、commit、actなど、「はたらく」の意味を持つ言葉は多い。
だが日本語は「はたらく」のひとつだけ。それだけ日本語の「はたらく」の意味は深く広いということだろう。
現代の日本社会で「はたらく」とは経済的価値をもたらすもの、つまり「お金になるもの」という印象を強く持っている。
当然ながら「はたらく」とは他人を楽にしたり喜んでもらう行為だから、本当はお金に変わらなくとも良いものでもある。
現在、私は家族の食事を毎日作っている。美味しい食事を作ると喜ばれる。これはまさに「はたらく」ということだ。
もちろん食事を作る以外にも、社会にはいろいろな「はたらく」がある。
地下鉄で立っている人に席を譲って、礼を言われる。
歌を歌って、聴いていた人が笑顔になったり涙を流したりする。
なんらかの形で誰かを応援することだって、「はたらく」である。手段が金銭なのか、声援なのかは問わない。
究極的に言えば、「生きている」=「はたらく」だ。
また別の見方をすると、この「はたらく」を言い換えれば「縁」とも言えるかもしれない。
今の世の中は貨幣経済だから、お金がはたらいた結果になりやすいが、実はそこは本質じゃない。