徒歩生活の偉大なる効果

5年前、引っ越しをきっかけに、自家用車を手放した。

そこから完全に徒歩生活にシフトした。今思うに、徒歩は私にとってはメリットしかない。

今日は車生活から徒歩生活にシフトして、生活がどう変化したかを書いてみたい。

徒歩生活のメリット

運動不足の解消

まず、車のデメリットは運動不足になりやすいことだ。車がない徒歩生活は移動は全て歩くことになる。

現在、普通に生活していて毎日1万歩は歩く。ちょっと遠くまで行くと2万歩である。車を使えばおそらく2千歩くらいになってしまうだろう。
これが毎日続けば、徒歩と車移動の運動量はかなりの差になるはず。地味ながらこれは相当に効いていると思う。

車運転のストレスからの解放

車を手放して気づいたことだが、私には車の運転が相当なストレスだったのだ。車を運転しない生活は、これほど楽なのかと実感している。私はそもそも、車の運転が嫌いだったのだ。

車の維持費がゼロ

これは誰もが認める経済的メリット。
ガソリン代、税金、保険料、これらは必ず掛かる。昨今ガソリン料金は高騰しており、以前の自動車依存生活が続いていれば、相当な経済的負担になっていただろう。
また駐車スペースは絶対に必要で、これまた費用のかかることである。

車を手放すことで、これらの維持費が完全にゼロになった。

いつでもどこでも飲酒してもOK

私はそれほどアルコールを飲む方ではないが、車がないと運転を絶対しない(できない)ので、気軽に酒が飲める。
私はそれほど飲まないとは言え、車の運転は「ちょっと一杯」という気楽さが奪われるという地味な抑圧がある。

その抑圧は車を手放すことで、すっかりなくなった。

思索しやすい

今私は、毎日1、2時間の朝散歩をしている。

持ち物は「財布」「ペン」「測量野帳という小さなノート」だけ。スマホは持たない。

「歩行瞑想」「マインドフルネス」とでもいうのか。
公園の緑を感じたり、空の色、風の感触を感じたり、呼吸や足の裏を感じながら散歩をしている。
とにかく雑事雑念を頭からなくして、脳みそを休ませる気持ちでただ歩いている。

ところで、京都には哲学者西田幾多郎が歩いたと言われる「哲学の道」という散歩道がある。

確かに、歩くことは瞑想状態が自然に起こり、ひらめきや気づきが多くなる。西田が思索のために散歩したことは、実感としてよくわかる。
私は、散歩はコロナ禍前より気分転換のために行っていた。

ある時、散歩は頭を休ませる意味でも有効だと気づいた。以来、脳の負担になりそうなスマホは持たずに、代わりにペンとノートを持って散歩に出るようにした。

このような散歩をするようになって、ハッとした思いつきや深い気づきが訪れるようになった。車生活では絶対にありえないことだった。(そもそも車運転中に瞑想状態になってはいけないが)

徒歩生活のデメリット

メリットだらけの徒歩生活ではあるが、デメリットもある。

でもそれは少しだけで、考えようによってはほぼ解消されることばかりだ。以下いくつかデメリットとその解消法を考えた。

歩きすぎると疲労の原因になる

過ぎたるは猶及ばざるが如し。何事もほどほどである。仮に歩き疲れても、無理せずタクシーや鉄道に乗れば良い。

大型の買い物がしづらい、旅行など遠出がしづらい

今は大型の買い物はネットで注文、業者配送で事足りる。

旅行ではタクシー、レンタカー、シェアカー使えば良い。たまの旅行ならば、その時は出費はかさんでも、車の維持費やストレスを考えればかなり安い。

住環境が限られる

車がなければ、公共交通機関のない、限界集落のようなところにはさすがに住みづらいだろう。

今の所、私はそこまでの所に住みたいとは思っていないので、今のところ大きなデメリットとは考えていない。
将来、そういう場所に住むことになった場合に考えればいい話である。

以上徒歩生活について書いてみました

私が最後に乗っていた車、スズキアルト ターボRS

これは本当に名車でした(すでに生産終了)。今度もし車を買うときがあっても、中古でもいいから乗りたい車。

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